じょなぺしの森

ラブライブ!とかゲームとかの話します。

背負わせたくなかった。投票の、ランク付けの『負』を。

 

 

 

僕があの子を好きになったのは自己紹介を聴いた時。はじめのシングル、はじまりの歌、はじめまして。

必死になって話す姿にぐっと惹かれて。今は未熟かもしれない、でも見てろよ世界、この子は絶対やるぞ。見てるぞ俺は、信じてるぞ、そう思った。なんかあれこれ言われることもあったけど関係ねえ、その本質は絶対に輝いてるしいつかそれは表に出る日が来るって思ってた。

しばらくして最初のランク付けがあった。あの子は2番を取った。マジか、みたいなことも多少頭をよぎったけど、何より純粋に嬉しかった。やるじゃん世界、みんなわかってんじゃん、伝わってんじゃんこの子の熱さ。よしこれで次は取るからな、なんて思ってた。

TV放映が始まった。その頃は一応少数は知り合いがいたけど、実質ひとりでおっかけてた。だから自分の評価以外、信ぴょう性のある評価もくだらない評価も世間の評価も全部一緒くたにみえてた。

僕は大満足だった。素敵なシーンがいくつもあったし、好きになってよかった信じてよかったっておもった。その未熟な蕾はまだ開花しきらずとも、いつか必ず、そう僕は思った。

でも世間は違った。

って言うと反論が来るかもしれないけど、いや違ったんだよ。さっき言った通り僕は世界が良く見えてなかったから、パッと見渡して転がり込んでくる無数の悪意に徹底的に打ちのめされた。きっと影には綺麗な言葉も隠れてたんだろうって今では思うけど、あんまり見えてなかった。

確かに台詞の絶対数も少なかったし、いわゆる当番回って奴も単独じゃなかったし。でもそうじゃないだろ、そんなんじゃねえだろ本当に大事なのは。しっかり見てくれよその努力を。

って思っても悪意の嵐は止まなかった。放映が終わった頃の時期にどっかの検索欄に名前を入れたら、予測欄に偶然1番目と2番目に出てきた単語、脳裏にこびりついて一生消せないかもしれない。

そんで、また投票があった。放映の結果を受けての投票だ。結果は9。一番下。

大躍進した子もいた。素直に嬉しかった。下位キープしてる子もいて悲しくも思った。でも。

2→9

理論値の次点での急降下。

あんなに素敵なところ沢山見せてくれたのに。こんなにこの子は頑張ってるのに。それに応えてくれる人の数は、最も少なかったらしい。ただただ悔しかった。でもきっとそれ以上に悔しいと思ってる人がいるだろう、本人が一番そうだろうって思った。ぐっと堪えた。でもそれでも抑えきれないくらい辛かったのがそれを見た人の反応だ。

それぞれみんな自分の好きな人がいるだろう、放映を見て気持ちが変わった人もいるだろう、今こそこの子が…って誰かを選んで思って入れた人も多いだろう。自分の入れる子に票が集まって欲しいだろう、次回こそはって思うだろう。

でも誰かを貶めないでほしかった。票を誰かに入れるってことは誰かに入れないってことだ。投票で決めるランク付けは残酷だ。残酷に誰かを切り捨てるのが投票ってもんだろう。そこに更に攻撃的な発言をしないでほしかった。更に追い討ちをかけるような発言をしないで欲しかった。

数字の変動に気づいた人々の中に放映された当時のことを持ち出して叩き出した人がいたんだ。出番が少ないだの何言ってんのかわからないだの。ふざけるなって思った。ひとつひとつの悪意はしょうもない言いがかりや理解度の低さから来るものだったのかもしれないけど、それが全部まとまって大きな悪意になって襲いかかってくるように見えた。検索欄で出てきたあの言葉がしばらく脳裏にこびりついて事あるごとに思い出された。悔しくて、何よりその悪意を跳ね除けるだけの力が無い自分が情けなくて、涙を流した。

そろそろハッキリと注釈しておくが、これはあくまで、その頃の自分の今より更に狭い見識で、ザーッと世間様とやらの表面を見て掠めてきた、薄い情報から当時得た感想だ。その下にはきっともっとあったかい世界があったであろうに、気づけなかった。…でも、そういう悪意があったのもまた、僕の目に映った範囲では事実だ。僕の好きは揺らがなかった。でも世界は信じられなくなったし、この頃のことが完全に傷になって残ってしまった。

 

それからしばらくしてはじめてのライブを見て、あの子は内側から素敵な人に支えられてるんだと知った。相乗効果でもっと好きになった。例のシングルも出た。凄く素敵な曲で、やっぱりいちばんを取った子はおめでとうって素直に祝えた。PVを見て大好きなあの子のシーンが凄く素敵で、救われたようだった。

その後の夏ぐらいからだ、いろんな人と出会えた。この夏からの半年くらいより前と後で、関連する知り合いは10倍以上に膨れ上がった。沢山の素敵な出会いがあって、あったかい言葉をはじめて…いや本当は昔から見えていたんだけど。暖かい言葉が飛び交う光景にはじめてちゃんと出会えて、本当に嬉しかった。

いよいよ2回目の放映で、あの子の努力が花を咲かせた。言葉に表しきらないくらいグチャグチャに煮詰まった大量の気持ちが、その輝く笑顔で包まれた。

そんでもまだ悪意は残ってるように思えたしチクチクしたけど、素敵な人達と出会って、自分の信じてきたものを肯定して貰えた。チクチクも少しずつ平気になっていった。沢山の暖かい気持ちに、それまで傷つけられてばかりだった『外の言葉』に、癒されるようになった。

念願だった場所は正確には取れてない、でも僕の夢は半分だけ叶ったのかなって思った。

ひとりで歌うステージにも立ち会えて、目の前数メートルの距離で見られた。あとは劇場での、向こう側のあの子の最後の舞台を見守るだけになった。

劇場の話はいつかしたいからあんまりしない、でも、沢山喋って悩んで頑張って。僕が信じたあの子の蕾は大きな花を咲かせ、実を結び、そして次の芽へと繋がった。心の底から嬉しく誇らしく思った。

そんな特大の活躍を経て、はじまった、第3回。今まではもしかしたら未熟だったのかもしれない。でも今は絶対に違うだろう。今なら絶対に取れる、立派にその場に立てるはずだ。そう信じている。

けど、ここでやっぱり出てくるのがあの傷だ。あの頃の悪意がまだ胸の内の傷に残ってる。僕はあの子を心の底から応援している。だけどそれはもう綺麗な感情では決してない。悪意の人々に踏み躙られて、上手く立ち続けられなかった僕の気持ちはだいぶ根っこが捻れてしまってる。自分の捻れをあの子に押し付ける訳にはいかない。まっすぐな気持ちで投票を呼びかけるのは難しい。

だから、僕は信じて票を投じて待つことにした。どうかよろしくお願いしますとだけ添えて。僕はあの子を信じてきて、何度も救われてきている。それに対してできるお返しは限られている、票を投じて信じて待つことが僕にできることだと思った。

中間発表でついた数字は『3』だった。

最高記録に届いたわけじゃない。いちばんにもなれてない。でも関係なかった。あの子を認めてくれる人がたくさんいる。0じゃないし僕だけの1でもない、もっと沢山いる。その事実がただ嬉しかった。帰りの夜道で、嗚咽が漏れるくらい泣いた。

もうあとすこしで届く。もしかしたら届かないかもしれないけど、精一杯頑張ってどこまで届くのかがみたい。その場所がてっぺんであったならなによりもうれしい。

 

 

 

グチャグチャの感情が詰まり過ぎてるから、投票呼びかけ記事はやらなかった。Twitterのタイムラインや会話の中でも、よろしくお願いします。以外、必要以上には語らないできた。でも、こうしてブログをやってるのはこういうグチャグチャを形にして残すためだ。だから最終日の今日、書き残すことにした。こんだけグチャグチャでも僕は子の投票って文化が嫌いではない。誰がセンターになったって、僕は笑顔でその子を祝福できる。だって遊びじゃないから。残酷な序列がつくことだってその一部だから。ただその周囲に生じる歪みに僕が耐えきれなかっただけだ。

 

感情の塊、頭から終わりまで今叩きつけるように吐き出したままだ、大袈裟な表現、時系列や話題の前後上等、ほとんど出てきたまんまなんだから勘弁してくれ。 

 

グチャグチャでねじ曲がった感情に支配されていても、これだけは曲がらないし純粋で真っ直ぐだと言えることがある。

僕はあの子が大好きで、誰よりもあの子がセンターに立つ姿を見たいってことだ。

 

黒澤ルビィを、よろしくお願いします。