じょなぺしの森

ラブライブ!とかゲームとかの話します。

他者の声

 

 

 

僕は『他者の声』が嫌いだ。

何故ならそれは僕にとってずっと、僕を傷つけるものであったから。

例えば自分がやりたい遊びがみんなと違った時。例えば自分の発表した答えが正答ではなかった時。例えば荒唐無稽と分かっていながらも夢を語ったらそれをバカにされた時。例えば自分の志望が周囲の期待と違った時。自分の注力してきた企画が他人の声で頓挫した時。

昔からいつも自分はどこかズレていることがあって、そのズレを指摘される度に恥をかくような後ろめたいような思いに襲われて来た。小さい頃の遊びがどうたらなんて今じゃどうでもいいとは思うが当時は真剣だったし、まだ引きずっているものだってある。全部が全部そうじゃないのは分かっているが、それらの中にある多数の『攻撃的な他者の声』によって傷つくことが僕はすごく嫌いだった。

 

そうした経験から、僕は他者の声に対して、『消極的寛容』と自分で呼ぶような立場を取るようになった。

何を言われても、それは『他者の声』なので。彼は彼女はそう思うかもしれないね、確かにその通りかもしれないね………僕は……………いやまぁ…………………

逆に自分が他人に意見するときも同様だ。認めておかないと、うっかり自分の意見に固執して相手の声を聞けなくなる。カッとなってしまったときなんかそうだろうと自覚している。

とりあえず認めておけばそれ以上貶されることはあんまりないし、とりあえず認めることから入れば相手の声を聞いた上での自分の意見が出せるはずだ、と思う。

別に最終的に主義主張がどっちだって、別にいいんじゃないか。そこまで他人に突っ込んでいいことなんてあんまりない。

 

そうやって消極的に意見を受け入れたり発したりしながら生きて来た僕だが、ここ数年は『自分の声』を、消極的でなく積極的に発して、それを貫くことの大切さも知った。

そうしないと掴めないものもあるし、得難いものへの姿勢と主張が、小さな周囲も大きな世界も変えることもあるのだと知った。

だから今では自分からこうして発信することも増えたし、他人の声に対してもっと真摯に向き合ってみることも増えた。

けどやっぱりそうするとぶつかるのが『攻撃的な他者の声』だ。

 

彼ら彼女らは、彼ら彼女らの正義で戦っているのだろう。それが合ってるか間違ってるかは問わない。自分の首が縄で締められるから、縄を切るためのナイフを持ったのだ。

僕はそれを頭ごなしに否定はしないし、そういうものだってあっていいのではないだろうか。

ただ、僕は他人の首を絞めるための縄を持ってるつもりはないんだ。だからそのナイフを振り回しながら近づいてこないでくれ。

ナイフを振り回しながら近づいてこられると、もう対等に話なんてできない。できることは限られてくる。

刺されても我慢するか、こちらもナイフを持つか、それとも、黙り込んで、消極的寛容の姿勢をとるか。

 

僕が選んだのは三つ目だ。結局僕は消極的な気質が強い。

周囲が荒れてても言及は最低限にした。あまり触れたくなくて少し距離を置いた。いつのまにか周囲や自分の交友関係が自分の預かり知らぬ所で組み替えられているらしいが、追うこともしなかった。

ただ共感する意見に目を通して多少のリアクションをして、攻撃的な声も耳を傾けねば不公平とばかりに目を通して、その鋭さにずきりと胸が痛んで。それでもあまり強くはその争いのような何かに触れられず、やっぱり黙り込んだ。

 

 

ふと今日、見逃すことも多くなった周囲の活動を眺めていたら、沈黙を選択した人々について言及する声がたまたま届いた。ハッとしたところがあってこの文章を書いているわけだが、正直今も怖い。僕にとって他者の声は怖いものだ。なぜならそれはいつも僕を傷つけるものだから。今回もきっとそうだと今思っているし、こんだけ予防線を張らねば表に出せないくらいに自分は情けない。ただ、積極的に声を上げることの大切さを知った自分が、消極的にまた沈んでいた自分を叱咤するような思いがしたので、この文章が産まれた。

 

ただ僕が主張したいのは、この世界のどこかで無配慮な誰かの言動で傷ついている人がいるなら、反撃で振るわれたナイフで巻き添えを喰らう人間もいると言うことだ。

自分が誰かを傷つけているかもしれない、無配慮は知らぬうちに罪無き誰かの首を絞めるかもしれないと言う思いは常にある。でも、それだけじゃないと僕は思う。

起きた被害を盾に、被害者の立場から僕にナイフを向けたなら、その瞬間からこちらも被害者になり、あなたも加害者になるのだと言うことだ。そうなっては泥沼だ。戦争の始まりだ。

 

配慮を求める人々の主張は理解しようとはしている。完全に無理解ではないつもりだ。でも僕は全てに配慮できているわけではない。申し訳ない。でも無理なんだ。だから僕はたまに他人を無意識に踏みつけてしまう。怒った他人は攻撃的な声やナイフで襲いかかってくる。そこでどうするか、意図的ではないとはいえ傷つけたのは確かに此方かもしれない、やっぱり反撃するか。それとも…………

僕は沈黙を選択する。

 

 

『議題』の是非について論じたい文ではないから具体的な名詞はすべて省いている。それでも僕がどう考えてるか掘り下げたい人は、直接聞くか、僕の発言を全部遡ってくれ。何か言ってるかもしれない。怖くて消してるかもしれない。

 

 

願うことなら、他人をうっかり踏みつけてしまうことのないような人間になりたい。

願うことなら、攻撃的な他者の声で世界が溢れかえることがなくなって欲しい。

怖くて声があげられなくなってしまうから。